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技工士教育・同窓会活動 |
学内・歯科界 |
社会の出来事 |
1950 (昭和25年) |
東技会、親技会が合併して技友会を結成する。(初代会長 石上健次氏)
名誉会員として本会に後藤、檜山、桜井、竹花先生が入会される。
技友会の会員構成 卒業生66名、在学生31名 計91名
技友創刊号発行
高尾山〜相模湖(嵐山亭) |
東京医学歯学専門学校医学科廃止
医学部に付属厚生女学部を設置する。
日本歯科材料器械学会成立
第1回歯科衛生士試験実施
東洋女子歯科、日本女子歯科医専門学校、廃校 |
朝鮮戦争勃発
警察予備隊発足
第1回日本シリーズで毎日が優勝
国産初のテープレコーダー発売 |
1951 (昭和26年) |
竹花健次氏が11月に逝去される。
名誉会員として本会に中沢勇先生が入会される。
技友会、浜離宮に行く。
歯科技工士資格獲得促進同盟に会として加入する。 |
厚生女学部が看護学校に改称される。
歯学部に歯学衛生士学校が設置される。
歯科材料研究所が設置され、長尾学長が初代所長と併任される。
大阪大学に歯学部が設置される。 |
マッカーサー元帥解任
対日講和条約調印 |
1952 (昭和27年) |
歯学部に歯科技工士学校が設置される。(入学定員15名、修業年限3年)
三浦半島一周のバス旅行に行く。 |
日本歯科衛生士会設立 |
もく星号が遭難、誤報により混乱
サンフランシスコ講和条約発効
血のメーデー事件
ボクシングで白井義男が日本人初の世界王者に
明神礁爆発 |
1953 (昭和28年) |
歯学部に歯科技工士養成科は22期生(9名)を社会に送り、廃止される。(卒業生117名)
鋸山にハイキングに行く。 |
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NHK、テレビ放送を開始する。
吉田首相の「バカヤロウ解散」
エリザベス女王戴冠式
板門店で朝鮮戦争休戦協定が調印される。
初のスーパーマーケット「紀ノ国屋」が青山にオープン |
1954 (昭和29年) |
技工研究会の発会
会則に付則とし研究会会則ができる。
会費一ヶ月50円
技友会報発刊せず。
箱根一周のバス旅行をする。 |
医学部に口腔衛生科が設置され、岡本清纓が講座を担当される。(42年に予防歯科学講座と改称)
国府台分院外来2号館焼失する。
歯学部附属病院外来診察室(現在の2号館)の一部が完成する。
日本歯科技工士会結成 |
ビキニ環礁で水爆実験、第五福竜丸が被曝
自衛隊発足
「洞爺丸」遭難事故 |
1955 (昭和30年) |
歯科技工士学校第一期生(15名)が卒業する。
本会の新入会員に迎え、オリンピックで歓迎会を開催する。
名誉会員として本会に長尾、槍垣、中村、神沢、石上先生が入会される。
歯科技工士試験の受験対策として、大学の後授により本会が講習会を開催する。
長瀞にバス旅行をする。 |
医学部付属病院に技工部が設置され、部長に中村平蔵教授が就任される。
大学院が設置される。(歯科部は歯学研究科)
歯科部に小児歯科学が設置され、山下浩教授が講座を担当される。
歯科技工士法公布(8.16)
日本歯科保存学会設立
歯科技工法が成立する。 |
保守合同、55年体制のスタート
宇高連絡船「紫雲丸」沈没事故
ソニー(当時の社名は東京通信工業)がトランジスタラジオ発売 |
1956 (昭和31年) |
技工部移動する。 |
歯学部附属病院外来診療室及び、研究室が完成する。
厚生省歯科衛生課廃止
医薬分業制度実施 |
気象庁が発足
砂川基地闘争で多数の負傷者
東海道本線の全線電化が完成
メルボルン・オリンピック
日ソ国交回復 |
1957 (昭和32年) |
歯科技工士学校に実習科設置(定員若干名、修業年限2年、第一期は入学者6名)
第1回歯科技工士試験が34都道府県で実施される。各地で会員の合格者が続出する。 |
長尾優先生が学長に再選される。
日本歯科技工士会設立 |
日本が国際連合に加盟
チャタレー裁判
東海村原子力研究所の原子炉に原子の火が点る。 |
1958 (昭和33年) |
高尾山〜相模湖へハイキング
30周年記念実行委員会を組織(委員長 長尾利作氏) |
国府台分校が設立する。
学部の進学課程の教育が実施される。
第1回日本歯科技工学会が九段会館で開催 |
ヨーロッパ経済機構(EEC=後のECの母体)発足
初のバレンタイン・チョコレート
関門トンネル開通
売春防止法実施
一万円札発行 |
1959 (昭和34年) |
実習科第一期生が課程を修了し全員技工部職員となる。 |
歯科理工学会設立 |
皇太子殿下ご成婚
メートル法完全実施で尺貫法廃止
伊勢湾台風で死者行方不明5098人
国民年金制度が発足 |
1960 (昭和35年) |
30周年記念行事を開催する。
式典:第1講堂、祝賀会:上野ホッケ会館
記念事業、アルバム、技工教育30年の歩み発行、バッチ校章の製作。
レクリェーション大会を開催する。種目別優勝者:卓球─周防、バトミントン─ 、囲碁─石塚、将棋─石塚、トランプ─日高、麻雀─佐々木(疆) |
檜山、桜井、槍垣、中村の諸先生が退官される。 |
東証ダウ平均が1000円の大台を突破
チリ地震津波で死者139人
安保反対デモ、国会に乱入
日米安保条約調印
浅沼社会党委員長刺殺
三井三池争議 |
1961 (昭和36年) |
神沢先生がドイツ留学より帰国され「ドイツの歯科事情について」講義会を開催する。
長尾先生の謝恩送別会を新宿芙蓉会館で挙行する。
会員からの記念品代が歯科技工士学校の技術を奨励する基金として大学に寄附され、長尾学術奨励の制度が誕生する。 |
長尾優学長任期満了で退官され、岡田正弘教授が学長に就任される。 |
ソ連、有人宇宙飛行に成功
ベルリンの壁が築かれる
第二室戸台風で死者194人、行方不明8人 |
1962 (昭和37年) |
甲州の勝沼へぶどう狩りバス旅行 |
医学部に付属衛生検査技師学校が設置される。 |
常磐線三河島駅で、列車脱線衝突
堀江謙一、ヨットで太平洋横断
マリリン・モンロー死亡
キューバ危機 |
1963 (昭和38年) |
歯科技工士の教育制度改正運動に本会も協力することになり、署名運動と資金カンパをする。
長尾賞の第1回受賞者は村上直正、坂本吉雄氏(本9期)であった。 |
補綴学講座が三講座制に改められ、第1は中沢勇教授、第2は石原寿郎教授、第3は林都志夫教授が担当される。
理工学講座が二講座制となり、第1は嚴教授、2は神沢教授が担当される。
菊川事務官が定年退職される。(昭和39年7月に逝去された)
厚生省に再び歯科衛生課が設置される。
日本小児歯科科学会設立 |
吉展ちゃん誘拐事件
日本で初めて原子力発電に成功
三井三池炭鉱爆発事故
国鉄鶴見事故
ケネディ大統領暗殺される。 |
1964 (昭和39年) |
長尾先生が勲2等旭日重光章を授賞される。
稲田登戸へ梨狩りバス旅行 |
歯科部に麻酔学講座が設置され上野教授が兼任されていたが、42年より久保田康耶教授が担当される。 |
新潟大地震
東海道新幹線開通
オリンピック東京大会開催
中国で初の核実験 |
1965 (昭和40年) |
ボーリング大会
会費の納入法を郵便による振替製度にし、技友会の口座を開設する。 |
教養学部が設置され分校は廃止される。
東北大、新潟大、広島大に歯学部が設置される。 |
アメリカがベトナム戦争に直接介入、北爆開始
日韓基本条約成立
朝永振一郎、ノーベル物理学賞を受賞
カセットテープレコーダーが発売される。 |
1966 (昭和41年) |
長尾先生「一筋の歯学への道普請」出版記念会が開催され、本会を代表し会長、副会長、編集委員長が出席する。
目黒にてボーリング大会(優勝 今野冨夫氏)
増原先生がドイツ留学より帰国され、「ヨーロッパの技工所の近況について」講演会を開催する。 |
歯科材料研究所が医用器材研究所に改称 |
大型旅客機による事故が相次ぐ(三件の事故で321名死亡)
日本の人口一億人突破
ビートルズ来日 |
1967 (昭和42年) |
目黒にてボーリング大会(優勝 中谷勲氏)
技工士学校教育制度が改正され、入学資格は高卒となり、修業年限が2年、入学定員が20名となる。 |
医用器材研究所の建物が竣工する。
医学部に顎口総合造研究所施設が設置され、初代の施設長は三村歯学部長が兼任される。 |
美濃部東京都知事当選
第三次中東戦争
ASEAN 結成
羽田闘争(安保闘争以来最大の流血デモ)
リカちゃん人形発売 |
1968 (昭和43年) |
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岡田正弘学長が退職される。医学部太田敬三教授が学長に就任する。
大学紛争により建物、施設の占処封鎖が始まる。 |
明治百年記念式典開催
大学紛争が全国的に激化
金嬉老事件
小笠原復帰
日本で初の心臓移植手術
川端康成、ノーベル文学賞を受賞
三億円強奪事件
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1969 (昭和44年) |
40周年記念行事を開催する。
式典:臨床第2講堂、祝賀会:東京ステーションホテル
記念事業:記念号の発行、表彰:会務精励者21名、名誉、特別会員全員
記念講演会:長尾優先生
技工士学校に記念品贈呈
会誌を40周年記念号として歯科技工教育の40年の歩みを編集する。
伊豆西浦にみかん狩りバス旅行
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太田敬三学長が退職される。
医学部清水彦教授が学長に就任される。
歯科技工士学校石原寿郎教授が逝去される。
管理棟第一期工事が竣工し事務局図書館、歯科部基礎講座が移転する。 |
東名高速道路全線開通
人類初の月面着陸に成功
日本の GNP が西側諸国で第2位に。 |