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技工士教育・同窓会活動 |
学内・歯科界 |
社会の出来事 |
1928 (昭和3年) |
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東京高等歯科医学校(一ツ橋地域)が創立する。 |
アムステルダムオリンピック陸上女子800m走で人見絹枝が銀メダル(日本女子初のメダリスト)
張作霖爆殺事件
蒋介石、国民政府主席に就任
ラジオの全国中継放送網が完成
大阪の人口が233万3800人で日本一になる。 |
1929 (昭和4年) |
歯科技工士養成所が設置される。(定員8名、修業年限4年、教科13科目)
入学生は、福井、佐藤(強)、一ノ瀬、矢島であった。
技工士の養成は大正8年より始められており、養成科の設置時には技工科に在籍していた、津端、伊藤、竹内、大野、佐藤(正)、小島氏は養成科に編入する。 |
第1回虫歯予防デーが開催される。 |
「暗黒の木曜日」に端を発する世界大恐慌
飛行船「ツェペリン号」が世界一周に成功
フレミングがペニシリンを発見 |
1930 (昭和5年) |
養成科第1回卒業生とし、津端力蔵氏に第1号の卒業証書が授与された。 |
東京高等歯科医学校と病院が御茶ノ水地域に移転する。従来の病院は改造され第二付属病院となる。 |
ロンドン軍縮会議開催
東京・大阪・横浜に、わが国初の自動式公衆電話が登場
東京駅で浜口首相狙撃される。 |
1931 (昭和6年) |
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第二付属病院(一ツ橋地域)で診療が再開される。
島峯校長、欧米に視察旅行 |
ニューヨークのエンパイア・ステート・ビル完成
清水トンネル完成、上越線全線開通
満州事変勃発
ルー・ゲーリックら、米大リーグ選抜チームが来日 |
1932 (昭和7年) |
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第1回日本ダービー
5・15事件で犬養首相が射殺される。
関東軍が満州国の建国を宣言
白木屋(後の東急日本橋店)で出火、死者14人、負傷者130人 |
1933 (昭和8年) |
技工士養成科全過程修了書の卒業式が挙行、卒業生は4名。 |
東京高等歯科医学校第1回生卒業式が挙行される。(卒業生80名)
日本補綴歯科学会の設立 |
日本、国際連盟脱退
山陰本線全線開通
三陸沖地震で死者3008人、行方不明1184人 |
1934 (昭和9年) |
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東京高等歯科医学校同窓会を設立する。(会長 島峯先生) |
ヒトラー、ドイツ総統に
室戸台風で死者・行方不明3036人
ベーブ・ルースら米大リーグ選抜野球チーム来日、沢村栄治投手が好投
丹那トンネル開通 |
1935 (昭和10年) |
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校舎(現在の2号館4階建旧館)が完成する。 |
美濃部達吉の「天皇機関説」
「大日本東京野球倶楽部」が「東京巨人軍」と名を改め、アメリカに遠征
第1回芥川賞を石川達三、第1回直木賞を川口松太郎が受賞 |
1936 (昭和11年) |
東技会、大島旅行をする。 |
文部省に分院の診療室が設置され、診療を開始する。 |
2・26事件
阿部定事件
ベルリンオリンピックで「前畑ガンバレ」
帝国議会議事堂(現在の国会議事堂)が完成
日独防共協定調印 |
1937 (昭和12年) |
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保険所法の制定 |
修理中の名古屋城で金のシャチホコの鱗58枚が盗まれる
ヘレン・ケラー、来日
蘆溝橋事件、日中戦争勃発 |
1938 (昭和13年) |
東技会、丹沢縦走をする。 |
歯科材料実験施設が設置され、医療器材研究所の前身となる。
同施設において、ウィプラ(圧印床)の臨床実験、材料研究、使用法、加工法などの研究、改良が、京谷幸男氏等によって行われる。 |
岡田嘉子、演出家の杉本良吉とソ連に亡命
ドイツがオーストリアを併合
国民総動員法公布
第12回オリンピック東京大会(1940年)の中止を決定
トヨタ自動車工業挙母工場(現本社工場)が操業開始 |
1939 (昭和14年) |
東技会、御獄山にハイキング |
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双葉山、69連勝でストップ
ノモンハン事件
第二次世界大戦勃発 |
1940 (昭和15年) |
紀元2600年記念大運動大会において、技工士科大活躍する。野球準優勝
沼津千本松原で夏期キャンプをする。 |
第二付属病院、御茶ノ水地域に移転する。
予防歯科学研究所が慶大に附設される。 |
日独伊三国同盟締結
大政翼賛会結成 |
1941 (昭和16年) |
正丸峠ハイキング
養成科帽章、襟章と同窓会のバッチが作られる。 |
菊川武雄事務官が本校に着任する。 |
米が配給制になる。
日本軍、南部仏印に進駐
ゾルゲ事件
太平洋戦争勃発
国産初のカラーフィルム発売 |
1942 (昭和17年) |
歯科材料が配給、統制される。
親技会(技工手養成卒業生により組織される会)が発会する。会員70名。
三ツ峠にハイキング |
医歯一元論の論争
国民医療法制定 |
日本軍、マニラ、シンガポール、ラングーンなどを占領
食糧管理法公布
日本、ミッドウェー海戦で空母四隻を失う |
1943 (昭和18年) |
一ツ橋地域において職員の演芸会が開催され、技工科の演技は好評であった。 |
東京高等歯科医学校に別料として歯学研究所が設置される。
歯科外務省分室が開設される(20年1月閉鎖する)。
一ツ橋地域で歯科医療を開設する。
日本歯科医師会設立
日本歯科技工所連盟結成
郡大に歯科口腔外科教室連盟結成
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日本軍、ガタルカナル島を撤退
山本五十六、米軍機に撃墜され戦死
イタリアが無条件降伏
学徒出陣 |
1944 (昭和19年) |
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東京医学歯学専門学校と改称される。医学科の教育が始まる。
京大に口腔外科学教室開設 |
ノルマンディー上陸作戦、パリ解放
国民学校の集団疎開が始まる。
サイパン陥落、空襲の本格化
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1945 (昭和20年) |
病院焼失の為、養成科新入生の応募を中止する。 |
島峯徹学校長 逝去される。
長尾優先生、学校長に就任される。
戦災により付属病院が消失する。
長崎大、弘前大、金沢大に口腔外科教室の開設 |
ドイツ無条件降伏
長崎、広島に原爆投下
ポツダム宣言受諾、終戦
第1回宝くじ
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1946 (昭和21年) |
養成科の応募が再開される。
戦後第1回運動会が御茶ノ水地域において開催される。 |
東京医科歯科大学と改称される。(学長 長尾優)
茨城県霞浦に予科が設置され、10月4日より講義が開始される(26年に廃止される)。
東京歯科が大学に昇格する。 |
第22回衆議院議員選挙(婦人に参政権が認められて初めての選挙)
極東国際軍事法廷(東京裁判)が開廷
日本国憲法公布
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1947 (昭和22年) |
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国府台地域に分院が開設され、診療を開始する。
第1回歯科医師国家試験実施 |
マッカーサー元帥の命令でゼネスト中止
日本国憲法施行
民間貿易再開
キャスリーン台風で死者2247人 |
1948 (昭和23年) |
技工科、豊島園に行く。 |
歯科衛生士法公布 |
帝銀事件
昭和電工事件
福井地震
極東軍事裁判で戦犯25人に有罪判決 |
1949 (昭和24年) |
創立20周年記念会開催(式典 第一講堂、祝賀会 学内)
東技会、親技会合同で鷹取山にハイキングをする。 |
東京医学歯学専門学校歯学科廃止 |
法隆寺の金堂炎上
下山国鉄総裁が轢死体で発見(下山事件)
無人電車が突然暴走し、通行人6人が死亡(三鷹事件)
旅客列車が脱線転覆、機関士1人助手2人が死亡(松川事件)
「フジヤマのトビウオ」古橋広之進が相次ぐ世界新記録
湯川秀樹、ノーベル物理学賞を受賞 |