国立大学法人東京医科歯科大学歯学部附属歯科技工士学校同窓会「技友会」 Dental Technology Alumni Association, Tokyo Medical and Dental University
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技友第61号
会誌『技友』第61号
(2010.4.20)
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◇ 歯科技工教育・技友会の沿革

 
 2009(平成21)年5月12日、本学において歯科技工教育が始まって80周年を迎えた。
 これは、1929(昭和4)年に官制のもとで正式に養成科が設立されてからの年数で、実際には、1919(大正8)年に故 島峯 徹先生の考えのもとに、技工士(当時は技工師)見習いを雇用、教育していたので、歴史的にはもっと古いことになる。
 同窓会である技友会の歴史も、その前身は養成科生で組織されていた1928(昭和3)年発足の「東技會」とされており、養成科の設立とともに始まったと考えられる。技友会の周年事業が技工教育○周年とされる由縁であり、技友会の歴史が本校の技工教育の歴史と同年であることは誠に幸運であると言えるだろう。本サイトでも、技友会の歴史と技工教育の歴史を併記することにする。

1978(昭和53)年当時の東京医科歯科大学湯島地区全景
1978(昭和53)年当時の東京医科歯科大学湯島地区全景
 



<技友会の発祥>

・東技會と親技會

 技友会の歴史は古く、本校の前身である東京髙等齒科醫學校(現在の東京医科歯科大学)附属技工手養成科時代にさかのぼる。
 技工手養成科が設置され、病院技工科において教育を受けていた当時の養成科生は、校内全体が家族のような雰囲気の中で、職員と生徒の生活に何の差別も感じず、必然的に行楽も病院全体で出かけていた。しかし技工科の人数が増え、整うに従い、技工科独自の行事が多くなってきたので、1928(昭和3)年、東技會が発足した。東技會は養成科生と病院技工科職員からなる組織で、その役員は、各学年より委員を選出し、その委員が部内の行事運行にあたっていた。
 当時は、社会状況もよく、病院の発展と相まって、東技會の活動も、内に外に盛んに行われて、人間形成のよりよい糧になった。
昭和6年当時の第2付属病院
1931(昭和6)年当時の第二付属病院
 
 1939〜1940(昭和14〜15)年頃(養成科中期後半)になり、養成科を卒業した人達が増え、外部に勤務する人が多くなってきた。このため、1942(昭和17)年、東技會とは別に、卒業生を以って組織する親技會が作られた。
 しかし、1941(昭和16)年12月8日に勃発した第二次世界大戦のあおりで、親技會の行事といえば、ほとんど戦場に狩り出された先輩の送別会が、主なものであった。
 東技會、親技會共に、戦時中は本来の行事は中断していたが、戦後になり、長尾、福井、竹花氏等の復員により、再び活動を始め、外部の先輩も次々と復員して徐々に戦前の活気をとり戻し、スポーツ、演芸会等が行われるようになっていった。
1944(昭和19)年頃の東京醫學齒學専門學校(現在の東京医科歯科大学)
1944(昭和19)年頃の東京醫學齒學専門學校(現在の東京医科歯科大学)
 
 1949(昭和24)年5月12日、技工手養成科創立20周年記念式典が、本学会議室において挙行された。主催は東技會によるもので、式典終了後生理実習室にて懇親会が開かれた。この時は長尾学長、檜垣部長、中村病院長、檜山、後藤、桜井、竹花(勇)の諸先生並びに菊川事務局長が、招待者として出席され、物資の困難な時代にも拘わらず、石上会長を始め、竹花副会長、佐藤(正)、佐藤(強)、鈴木、堀内、遠藤(松)、染谷(昭)の各理事の活躍により、会を盛況のうちに終えることが出来た。
 1949(昭和24)年12月、東技會、親技會の合併問題が提起され、1950(昭和25)年2月東技會臨時総会、同年3月親技會委員会において、各々合併問題を審議し、全員賛成をもって可決された。同時に両技会合同の上会則の作成をし、1950(昭和25)年4月2日、養成科生徒の募集打切りと同時に新しく「技友会」が誕生した。
 「技友会」の名称は、清水鈆司氏の発案によるものである。
 初代会長には、石上健次氏が推薦され、理事長 長岡和夫氏、理事 佐藤正男、竹花庄治(旧姓・高橋)、鈴木 博、堀内寛保、定形公明の各氏、学年代表 遠藤義憲氏等が、新役員として、委嘱任命された。
 次いで、1955(昭和30)年3月、歯科技工士学校第1期生が卒業するに至り、この新卒業生の希望により全員技友会に入会することになり、本会は、ここに、技工手養成科の卒業生と技工士学校卒業生とをもって組織する同窓会の形を確立するに至ったのである。同年4月、これを記念し、銀座オリンピックにおいて、長尾学長を始め諸先生ご臨席の下に、新卒業生の歓迎と会員の懇親会が盛大に開かれた。
歯科技工教育50周年記念誌より
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<永楽病院時代>

・永楽病院

 東京医科歯科大学は、創立時、東京髙等齒科醫學校と称し、そのもっとも前身は、小石川雑司ヶ谷にあった永楽病院である。
 永楽病院は、医師、歯科医師、薬剤師の開業試験をする為の附属病院で、正式には、東京医術開業試験附属病院といわれた。日本の医術開業試験は、1883(明治16)年10月に規則が公布、翌1884(明治17)年1月より実施された。逐次改正され、試験場も諸所を移転し、1899(明治32)年4月に、麹町永楽町に附設し、永楽病院と通称した。その後、内務省管轄から、文部省に移り、病院も小石川雑司ヶ谷に移転したのである。

・島峯 徹先生の帰国と歯科学改革のきざし

 初代東京髙等齒科醫學校校長であった島峯 徹先生が、ドイツ留学より帰国され、永楽病院の歯科医長に就任された。1915(大正4)年5月24日のことである。やはり同じ頃、米国ペンシルバニア大学を出た山形朔郎先生が米国の最新技術を携え帰国し、銀座で開業されていた。島峯先生が Dr. カークの推奨により山形先生を知り、その帰国を待って、永楽病院に招聘した。
 医学と十分関連をとりつつ、歯科は別個に教育を施すべきであろうとの考えの島峯先生や山形先生による、米国歯科事情の講演などを聞いた、当時、東大歯科医局員であった長尾 優先生は勇躍、米国へ留学したのである。
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<文部省歯科病院時代>

・文部省歯科病院

 1917(大正6)年、永楽病院が東大小石川分院に移り、医術開業試験制度の内に包含されていた歯科の試験が独立の形をとり、歯科医術開業試験および同附属病院と云うことになり、文部省歯科医術開業試験附属病院となった。島峯先生は、医長から院長になられた。
 1918(大正7)年6月1日、神田一ツ橋に移り、1922(大正11)年1月1日、歯科医師開業試験規則の実施に伴い、病院名が、歯科医師試験附属病院と改称された。

・技工見習生の採用

 文部省歯科病院の隆盛に伴い、非常に忙しくなってきたことなどのため、技工を専門に担当する優秀な技工士の必要性が生じた。米国では歯科界に技工士が職業人として独立し、技工所も多く作られていて、歯科医業の能率も上がり、患者と歯科医師の時間を節約し、より良い補綴物を作っていた。またこの頃、山形歯科医院には、山形先生自らの手によって養成した優秀な技工士が数名いて、歯科医院の名声と高い能率を招いていた。この形を文部省歯科病院に移し植え、これを大きく育て上げれば、日本の歯科医業の技術革新に大いに役立つであろうとの考えから、長尾 優先生は島峯先生に進言し、技工士の養成を始めることとなり、技工見習生の採用に踏み切ったのである。
 1919(大正8)年4月、横谷信賢氏が技工見習生の第1号として採用された。以後24名の人達が採用され、養成課程は4ヵ年であった。また、これらの採用は、病院だけの内規によるもので、公に養成の名目がつかず、予算的にも病院の独立採算制であった。
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<技工手養成科>

・技工手養成科の創立

 1928(昭和3)年10月12日、東京髙等齒科醫學校が創設され、文部省歯科医師試験附属病院長であった島峯 徹先生が初代の学校長に任ぜられた。学校の設立と同時に、正式機関による初めての技工士養成所として、技工手養成科が1929(昭和4)年5月12日に附設された。しかし、養成科そのものは、未だ文部省等監督官庁の管轄下には入らず、学内の一機構に止められていた。
 東京髙等齒科醫學校は、神田・一ツ橋の文部省歯科病院の建物と同じで、講義は旧商科大学(現一ツ橋大学)の校舎を借りていた。
 技工手養成科の「手」という字を用いたのは、当時一般では、技工師と称したが、官制により技術者は、技手に任官するため、その手をとって技工手としたといわれ、これは、本学病院内だけの名称であった。また、入学資格は12歳以上16歳以下の男子で、尋常小學校卒業程度の学力を有する者とし、修業年限は4年制であった。また、文部省齒科醫師試驗附屬病院技工見習いであった者は、養成科に編入された。

・養成科のうつりかわり

 技工手養成科は、1929(昭和4)年5月21日から、1953(昭和28)年3月31日まで、23年と10ヶ月という長期にわたって続いた。この間の教育のあり方としては、1)技術に徹すること、2)礼儀を尽すこと、3)器械、器具を大切にすること、4)掃除は徹底的にすること、の4つに尽きたのである。

・前期
 養成科は創立当時、一ツ橋にある木造の病院の技工室にあった。養成科の卒業証書第一号は、1930(昭和5)年3月21日に養成科1期の津端力蔵氏に授与された。養成科3期生までは、文部省齒科醫師試驗附屬病院技工見習いから編入された人達だったので、入学試験を経て養成科に入学されたのは、4期生からである。
 1930(昭和5)年12月28日、湯島・元東京女子高等師範学校の寄宿舎を改装し校舎、附属病院に当てられ、一ツ橋から引っ越した。1935(昭和10)年7月19日、旧本館が竣工した。

・中期(8期生〜14期生)
 中期は、最も社会的状況が良い時期で病院も発展の一途をたどっていた。1941(昭和16)年には、養成科帽章、襟章がつくられ、同時に東技會のバッジも作られた。
 しかし、充実した学内生活も、1941(昭和16)年12月8日の第二次世界大戦の開戦を境に一変している。

・後期(15期生〜22期生)
 戦争の様相はますます深刻となり、1942(昭和17)年4月18日に第一回の東京空襲があった。
 1944(昭和19)年に東京髙等齒科醫學校から東京醫學齒學専門學校に改称されたが、その後半から戦争が激しくなり、病院も休止状態、1945(昭和20)年3月10日に病院が、5月25日に講堂が、空襲により焼失した。
 1945(昭和20)年2月10日、東京髙等齒科醫學校を創設され、歯科界のため、本学のために挺身し、貢献された島峯 徹先生が逝去された。そのあとを継いで長尾 優先生が校長に任命された。
 養成科は、1945(昭和20)年に生徒の募集が中止されたが、1946(昭和21)年に至って再び募集された。この頃、技工室が旧本館の地階にあり、学校全体としては、苦しいやりくりの時代であった。その後、木造の病院が再建され、1953(昭和28)年3月31日、22期生の卒業を待って養成科は廃止された。
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<歯科技工士学校>

・歯科技工士学校の設立

 戦後、駐留軍の示唆により、我が国の教育制度が変わり、義務年限が新制中学までとなった。そこで、養成科の制度を改革する必要に迫られ、新しい制度を作ることになった。
 創立当時は、高等学校の資格を附与するために、その設置概要は、高等学校制度に準じて作られた。即ち、高等学校の最低必須科目が、専門科目に繰り入れられて、全く養成科の制度とは異なった訳である。
 1952(昭和27)年4月1日に、歯学部附属歯科技工士学校として設置され、初代校長として、学部長であった、檜垣麟三先生が任ぜられ、専任教官として石上新一先生、竹花庄治先生が、赴任された。

・歯科技工士学校のうつりかわり

 当初の技工士学校の概要は、定員1学年15名、修業年限3年、入学資格は新制中学校卒業者、カリキュラムは表1参照。

表1 1952(昭和27)年4月〜
学科目 第1学年 第2学年 第3学年 時間数
国語 105 105 105 315
社会 175     175 350
数学 175         175
理科     175 175 350
保健体育 105 105 105 315
外国語  105 105 140 350
芸能書道 70 35     105
口腔病理 35         35
口腔衛生     35     35
補綴                
歯牙解剖 35         35
同実習  70         70
有床義歯     35 35 70
同実習     105 70 175
継続架工 35         35
同実習 105 105     210
保存(充填)     35     35
材料 105 70     175
実習     210 315 525
1120 1120 1120 3360

 授業料、入学金を徴収せず、学費一部支給。
 1954(昭和29)年、厚生省で歯科技工法の制定が計られ、新しい技工教育機関の内容が定められ、1960(昭和35)年8月16日付を以って公布、同年10月15日施行ということになった。
 1956(昭和31)年4月(5期生)から新しい制度に切り換えられ、直ちに日本第一号の養成機関として認可された。このため普通科目の時間数は激減し専門科目に重きを置く制度になった。
 定員は、全校で45名、入学資格は学校教育法第47条に該当する者(中学校卒業と同等の学力を有する者)であって年齢20歳以下の者、カリキュラムは表2参照。

表2 1956(昭和31)年4月〜
学科目 第1学年 第2学年 第3学年 時間数 備考
   前期 後期 前期 後期 前期 後期      
国語 30 30 15 15         90    
数学    45 45                 90    
理科 45 45                 90    
保健体育 30 30 30 30 30 30 180    
外国語 30 30 15 15         90    
美術概論 15 15                 30    
関係法規                 15     15    
歯牙解剖 150                     150
有床義歯学 90 180 90             360
継続架工学     60 300             360
充てん学          15 15         30
矯正学             30         30
歯科理工学 60 60 30 30         180
歯科技工実習             360 450 465 1275    
495 495 495 495 495 495 2970    

(*..基礎実習教育を含む)


 その後の学則の変更を順を追って上げる。
 1958(昭和33)年4月(7期生)より、委託生が年齢制限なしで教育年限3年で3名以内入学できるようになった。実際には自衛隊よりの委託生であり、本科15期生まで続き、27名の卒業生を送り出した。

 1963(昭和38)年4月(12期生)より、入学志願者の年齢制限がなくなった。

 1967(昭和42)年4月(16期生)より、入学資格が高等学校卒業者になり、修業年限が2年、1学年の定員が20名、と大幅に改正された。カリキュラムは表3参照。学資金(生徒手当)が廃止。

表3 1967(昭和42)年4月〜
学科目 第1学年 第2学年 時間数 備考
   前期 後期 前期 後期      
保健体育 30 30 30 30 120    
外国語 30 15         45    
美術概論     15         15    
関係法規             15 15    
歯科技工概論 15             15    
歯牙解剖 150             150
有床義歯学 210 150         360
継続架工学 60 300         360
充てん学 15 15         30
矯正学     30         30
歯科理工学 120 60         180
歯科技工実習     30 630 615 1275    
630 645 660 660 2595    

(*..基礎実習教育を含む)


 1975(昭和50)年4月(24期生)より、カリキュラムが表4のようになった。

表4 1975(昭和50)年4月〜
学科目 第1学年 第2学年 時間数 備考
   前期 後期 前期 後期      
保健体育 30 30 30 30 120    
外国語 30 15         45    
美術概論     15         15    
関係法規             15 15    
歯科技工概論 30             30    
歯牙解剖 150             150
有床義歯技工学 310 100     140 550
歯冠修復技工学     320 190 40 550
矯正技工学     30         30
小児歯科技工学     30         30
歯科鋳造学 20 30         50
歯科理工学 90 60         150
歯科技工実習         440 435 905    
660 660 660 660 2640    

(*..基礎実習教育を含む)


 1976(昭和51)年4月(25期生)より、学校教育法第82条により学校の名称が東京医科歯科大学歯学部附属歯科技工士学校歯科技工専門課程歯科技工学科となった。

 1995(平成7)年4月より、専修学校設置基準の一部改正、専門士の称号付与制定規程関係、歯科技工法の一部改正、歯科技工士養成所指定規則の一部改正等にともない、本校学則の一部改正、2学期制から3学期制にするなど、カリキュラムを変更した。
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<歯科技工士学校実習科の新設>

・実習科の新設

 技工士の教育制度が技工手養成科から技工士学校へと変わるにつれ、技工実習時間がだんだん短縮され、逆に、技工技術が高度に発達してきた。当時、技工士学校専任講師であり、技工部主任をされていた竹花庄治先生は、もう少し技工実習の教育を充実し、高度なテクニックを習得した技工士の養成という(専習科)案を立てられた。そして、長尾学長、檜垣先生に相談した結果、専習科は、学部の専習生と紛らわしく、実習を主に行うので「実習科」という名称で新制度を設けることになった。
 1957(昭和32)年4月1日、本科の3年課程における技術習得の不足を補うと共に、2年間の教育をもって、優秀な技工士を養成し、斯界のリーダーとなる人材を作る目的をもって、歯科技工士学校に実習科が新設された。実際に学生教育が始まったのは、その年の6月からであった。

・実習科の概要

 修業年限は2年、定員は1学年10名、入学を志願することのできる者は、歯科技工法第14条、並びに附則第2条に該当する者とする。
 実習科の教育は、歯科技工士の免許を有する者に、2年間歯科技工に関する専門教育を行うもので、本科と異なる点は、一般教養科目はなく、すべて専門科目であることと、各自のテーマによる、卒業論文を提出することである。
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<長尾優学術奨励賞について>

・賞の誕生

 1961(昭和36)年、長尾 優先生が本学の学長を任期満了によって退職されることとなった。本校同窓会である技友会では、長尾先生に対し、感謝の意を尽くしたいとの考えから、記念事業を企画し、1961(昭和36)年11月25日、芙蓉会館において謝恩会を催し、同時に記念品として、金8万円を贈呈、会員の感謝の意としたのである。その際、長尾先生よりこの記念品代を技工士学校の学術奨励資金にするようにとの暖かい御意向があり、大学当局に手続きをとり、1962(昭和37)年10月1日、資金額8万円を以って、長尾優学術奨励賞が学内規定により設立された。

・長尾優学術奨励賞規定

 本賞の授与は、学内規定によって次のように定められている。
 受賞者の資格は、本校生徒(実習科生徒を含む)であって、心身共に健全にして、学業優秀と認められた者とする。授与人員は、若干名とし、時期は、毎年3月とする。受賞者は選考委員会において決定する。受賞者選考委員会の構成は、技工士学校長および専任教官、事務局長とし、審議事項は、受賞者の選考に関すること、受賞人員に関すること、その他必要事項。
 当初は、本科学生を対象と考えていたが、1972(昭和47)年の選考委員会において、実習科学生にも受賞の機会を与えるべきとの意見が出され、同年より本科および実習科の学生を対象とすることに決定し、各科目の総合評点が最も優れた学生に長尾優学術奨励賞が授与されるようになった。
 
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