<技友会の発祥>
・東技會と親技會
技友会の歴史は古く、本校の前身である東京髙等齒科醫學校(現在の東京医科歯科大学)附属技工手養成科時代にさかのぼる。
技工手養成科が設置され、病院技工科において教育を受けていた当時の養成科生は、校内全体が家族のような雰囲気の中で、職員と生徒の生活に何の差別も感じず、必然的に行楽も病院全体で出かけていた。しかし技工科の人数が増え、整うに従い、技工科独自の行事が多くなってきたので、1928(昭和3)年、東技會が発足した。東技會は養成科生と病院技工科職員からなる組織で、その役員は、各学年より委員を選出し、その委員が部内の行事運行にあたっていた。
当時は、社会状況もよく、病院の発展と相まって、東技會の活動も、内に外に盛んに行われて、人間形成のよりよい糧になった。 |
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| 1931(昭和6)年当時の第二付属病院 |
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1939〜1940(昭和14〜15)年頃(養成科中期後半)になり、養成科を卒業した人達が増え、外部に勤務する人が多くなってきた。このため、1942(昭和17)年、東技會とは別に、卒業生を以って組織する親技會が作られた。
しかし、1941(昭和16)年12月8日に勃発した第二次世界大戦のあおりで、親技會の行事といえば、ほとんど戦場に狩り出された先輩の送別会が、主なものであった。
東技會、親技會共に、戦時中は本来の行事は中断していたが、戦後になり、長尾、福井、竹花氏等の復員により、再び活動を始め、外部の先輩も次々と復員して徐々に戦前の活気をとり戻し、スポーツ、演芸会等が行われるようになっていった。 |
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| 1944(昭和19)年頃の東京醫學齒學専門學校(現在の東京医科歯科大学) |
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1949(昭和24)年5月12日、技工手養成科創立20周年記念式典が、本学会議室において挙行された。主催は東技會によるもので、式典終了後生理実習室にて懇親会が開かれた。この時は長尾学長、檜垣部長、中村病院長、檜山、後藤、桜井、竹花(勇)の諸先生並びに菊川事務局長が、招待者として出席され、物資の困難な時代にも拘わらず、石上会長を始め、竹花副会長、佐藤(正)、佐藤(強)、鈴木、堀内、遠藤(松)、染谷(昭)の各理事の活躍により、会を盛況のうちに終えることが出来た。
1949(昭和24)年12月、東技會、親技會の合併問題が提起され、1950(昭和25)年2月東技會臨時総会、同年3月親技會委員会において、各々合併問題を審議し、全員賛成をもって可決された。同時に両技会合同の上会則の作成をし、1950(昭和25)年4月2日、養成科生徒の募集打切りと同時に新しく「技友会」が誕生した。
「技友会」の名称は、清水鈆司氏の発案によるものである。
初代会長には、石上健次氏が推薦され、理事長 長岡和夫氏、理事 佐藤正男、竹花庄治(旧姓・高橋)、鈴木 博、堀内寛保、定形公明の各氏、学年代表 遠藤義憲氏等が、新役員として、委嘱任命された。
次いで、1955(昭和30)年3月、歯科技工士学校第1期生が卒業するに至り、この新卒業生の希望により全員技友会に入会することになり、本会は、ここに、技工手養成科の卒業生と技工士学校卒業生とをもって組織する同窓会の形を確立するに至ったのである。同年4月、これを記念し、銀座オリンピックにおいて、長尾学長を始め諸先生ご臨席の下に、新卒業生の歓迎と会員の懇親会が盛大に開かれた。 |
| 歯科技工教育50周年記念誌より |